コラム欄 |
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@「五輪とスポーツ精神の要点メモ」 スポーツ集中力の視点から *BC884年の古代オリンピック起源 疫病に見舞われた苦難を脱するため、スパルタと共同でオリンピックの”再興”を祈願したのが、BC884。これを古代五輪の起点とする見方もある *クーベルタンの真意 「最も重要なのは、死に物狂いで”闘い”に参加すること自体で、、、」 *マラソン伝説の真偽 「勝った、喜べ」を報じるために死ぬまで走るか?それはおかしい *五輪開催国の偏向 これまでの開催は、キリスト教の文化圏が主で、イスラム世界では一度も。 *つくられる美談 よろけて外に膨らんだら、コースを譲ったという美談になった(笑い) *タイトル\の導入を 女子スポーツの発展のために、「訴え・体験談」から「具体的な活動」へ *勝つことには二つの意味が 内側の能力を出し切ることに対し、栄光や歓びは外側の勝利で、、。 *アウトドア五輪へ、、 マラソン伝説の前に、往復480kmを3日で走ったトレランの記録が。 ETC、、、。 |
Aアスリート心得:参考 「スポーツ集中力」 補足コラム メモ *金メダルなんか取ったらろくな者にならなかった!? この前NHKのテレビを見ていたら、瀬古利彦氏が「自分は五輪だけは相性が悪かった。でも、金メダルを取らなくて(かえって)良かったとも思う」といった話をされていた。要は金メダルを取らなかったぶん、マラソン指導者としての道をより純粋に進むことが出来た、自分が本当にやりたいことを全力でこなすことが出来ていて、うれしい、という意味だ。 中村清監督(故)が神宮外苑で指導されてた時から、筆者も直立不動でs瀬古氏の練習を見きた。栄光や名誉と言った副産物にとらわれることなく、あくまでも「自分たちのマラソンを究める」姿勢を貫いておられた。 瀬古氏は自分自身のことを話されたのであり、金メダリストにろくな者はいない、と言う意味ではない。もっとも、1970年から世界のスポーツに(僅かながらも)接してきた私には「確かに、せっかくのスポーツ人生を無駄にして」と残念に思う人も少なくない。栄光の”副産物”に足をとられ、金に絡んだぶざまな引退劇を演じたり、セレブの仲間入りをしたくて薬におぼれたり、低俗な番組に出て人気者でいようとする(挙げ句に捨てられる)、といった「選択肢を間違えた」気の毒な人も内外に見受けられる。まやかしの”スポーツビジネス”にも問題はあろう。 中村監督が、関東インカレで優勝した選手を「今日は勝つなと教えたはずだ」と叱るのを見たことがある。マスコミに英雄扱いされれば、ついつい自分も舞い上がって気が緩む。若ければなかなか自分では抑制できないものだ。だから「勝つな」なのだが、この心理を理解したマスコミは当時もほとんどなかった。瀬古氏が今、金ミダル云々の話をされるのも、同じ意味あいなのだろう。瀬古氏は、自分の中に中村師を持っている。それはクーベルタンの求めたスポーツ精神そのものでもある。幾多の勝利と、その何万倍もの苦闘の末の境地に違いない。 *北京冬季五輪 羽生選手のすごさは、スポーツの根源精神を貫いたことにある それはジャンプの高梨、スケートの小平両選手にも言えることで、 彼らが表現したスポーツ精神は、長く讃えられるべきだろう・ 気高く美しい、真のアスリートの姿だった。 スポーツで最も大切なのは、ただひたすらな「潔さ」であり、 雑念を排して自分の全てを出し切ろうとする姿勢は、 クーベルタンの主張した五輪精神そのものもである。 ともすればメダルや栄光に流されがちな世の中の価値観だが、 スポーツはここが違う、という明快なメッセージを、 自らの痛みを通して、アピールしてくれた。 覚悟を決めて本能に任せ、無限界に挑む。 やるだけではない、やりきる、こそ 自分に克つ、ではなく、自分を活かしきる。自分自身は敵ではない アスリートとしての誇り。謙虚さと礼儀作法 名誉や栄光のためで無く、内側の勝利を 不運も失敗も、無念もあるのがスポーツ、時に幸運も そして何より、「それならそれで」という反逆精神 高木、平野、カーリングの各選手にはそれがあった。 (あと一言) その他の選手がメダリストほど偉くない、わけではない。 注:五輪後、羽生さんは「極める」道を選んだ。究極のスポーツ精神だ。 *潔い”覚悟”「それならそれで」のリセット力 スポーツ集中力において、最も大切なことの一つが、「現実をありのまま」に認識し、それを受け入れることだ。多くの人にとって、いや全ての人にとって、人間である以上、これがなかなか難しい。見栄もある。現実を知ることの恐怖心もある。だから真実と向き合うより、「もっと頑張る」方が、まだましなのである。だからゴルフ練習場で、必死になって汗をかく。走行フォームを直さないで、ただ距離を踏む。いい運動にはなるが、それが上達に直結するか否かは、アスリートなら、ごぞんじだろう。 しかし、例えば火事になった、車の下敷きになった、ともなれば、もはや考える暇もなければ、見栄を張る暇も無い。人は現実と直面し、そこでまぎれもない本能がすべてを発揮する。ただ、それは瞬間の非常時である。本能の瞬間的な反応でもある。現実を受け入れることは、そう簡単ではない、以前のコラムでも「覚悟には時間がかかる」とした。 では覚悟を決めること、何がどうなるのか。 先日の全豪オープンの優勝で、思わず「わーい」と声を上げた「テニスファンではない」人たちが、どのくらい居ただろう。日本が、ぱっと明るくなった。別にそれでコロナが無くなったわけでも、生活の不自由が消えたわけではないのに、みなで何かを跳ね返したような、すばらしい瞬間だった。 全米、全豪と優勝したあと、予想通り、テニスへの姿勢が揺らぎ、戦績も当然落ち込み始めた。そこから脱出するのか、そのまま「極限の闘い」から逃げ出して、ありがちな「人気選手」で終わるのか。スポーツ集中力の見地からも非常に興味があった。 シャイで、責任感も強い性格だから、内に閉じこもることがあったとも聞くが、自分自身が思いきりテニスをエンジョイすることこそが自分の命題であることに、彼女は気がついたのだろう。 テニスへの姿勢がより純粋になり、強さが際立ってきた。そうした角度から、今回の優勝直後の言葉の中で最も印象的だったのが、「メンタルの闘いだった。本当に緊張していた。だから試合前に、完璧を求めるなって。1ポイントずつやれば結果は付いてくるって」た。日刊スポーツコムの大阪なおみ特集「一問一答」欄にも取り上げられている。 「全部を完璧には出来ないのだ」という、潔い姿勢、大阪なりの覚悟が闘いの土台にできあがっていたのかと思うと、この2年間の心の成長ぶりには、驚かされる。 決勝である。俗にゾーンという集中状態の闘いになるのは当然だが、その前に、「全部を100%のショットとはいかない」――当たり前と言えば当たり前の「現実」と、彼女の心身は離れていなかった。そこがすごい。 |
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1970年代に、世界のスポーツ界で始めてスポーツ心理、特に集中力にスポットを当てて発表されたインナーゲームは、その後多くの選手、指導者、スポーツ関係者に大きな影響を与えてきました。また人材育の側面から大小の企業、さらに幅広く教育や医療、介護の各界でも活用されることとなりました。プロ選手や競技協会関係者、企業運営者、学術研究者ほか、多くの方々のご助言、ご助力の賜です。
スポーツ集中力やインナーゲームに関する
ご相談、講義講演などについては以下のメールで御連絡ください
sports@js2.so-net.ne.jp
:::::後藤新弥::::
SPORTS AND ADVENTURE FOR EVERY ONE OF US
NPOバディ冒険団 & 後藤新弥(スポーツ研究室)
〜NPOバディ冒険団スポーツ研究室〜
プロフィール
著訳書全リスト(62冊)
おやじアドベンチャー 冒険写真集
逆境挑戦が面白い!
「人は逆境が大好き?」
そんな大それたテーマに取り組んでいます。逆境になるといやでも「集中」状態になる。
人にとっての最大の快感が、実は極限の集中状態だからなのです。
スポーツは人類が発明した「創造的な逆境」かもしれません。
自ら好んで苦しいことに挑戦していく姿は、観る者の本能を揺さぶります。
現役記者時代、五輪に限らず、「これはもう無理だろう」と思うような状況にチャレンジし、這い上がり、
信じられないような力を差出し切るアスリートを、何度も何度も観てきました。
江戸川大学では限界挑戦型のスポーツたとえばウルトラマラソン、トレールランニング、
オープンウオータースイミングなど、市民スポーツのいわば先端領域の実態調査を通して、
学生さんと一緒に「逆境研究」をしていました。
みな、自ら自分の逆境を創り出し、それを愉しんでいるのです。
すなわち、集中力の極限状態の悦楽です。
人生の本当の意味、スポーツとは何か、逆境に挑戦するる愉快の秘密は、
すべて「集中力」に要約されるのではないでしょうか。
今年で75歳。マスコミや大学での体験をもとに、<さあ、新たな人生だ、挑戦だ、などという意気込みなどは全くなし。NPOバディ冒険団スポーツ研究室や日本レジャーレクリエーション学会などを通して「面白いこと」を続けております。昨年の夏には、知る人ぞ知るヤマハYA1を復活させました。秋は足踏み式ディスペンサーの企画開発。昔、「スポーツUSA]という、スポーツをおちょくった番組を古館伊智郎氏とやったことがありますが、イタズラ心は相変わらずです。サイクルスポーツの科学基地「アマンダスポーツ」のHPを担当しています。アキレス腱周囲の故障で「年だから治らない」と医者に宣告されています。まだ若すぎる、ということでしょう、早く大人になりたいなあ。
バディ冒険団 ホームページへ
****以下、個人用ファイル*****
2022・10・01
東京国立競技場(リレーフェスティバル)
桐葉会(東京教育大学附属中・高校 陸上競技部OB会)チーム
4人合計年齢 306歳 最高齢
リレービデオ
第Fレーン(紫)第2走者
犬
以下は2代目 牡
公園で、雑誌撮影中のモデル(しほ)から声をかけられ、協力
掲載されましたが御礼は無し。
以下は初代、アッペンツェラー・マウンテンドッグ
やはりスイス生まれですがオオカミに近い原種で、
今のステラににてますが、いざとなるとすごかったです
(犬越路峠で、うどんを一緒に)
ポンコツ自慢
日本最初のパソコンNEC TK80
日本最初の?ハンドヘルド・パソコン
NEC PC8201
ヤマハの販売一号機 YA=1
これは1982年頃に改造使用したTL125
エンジン調整後、復活
1980年頃、清里辺りで遊びまくったQR50
前世紀1999年製 ダットサントラック
これが右アキレスけん周囲
黒い縦の筋が「変質して、年だから修理不能」と医師。
痛くて走れない、さあどうする(笑い)
<<2021 10月、レストアに成功>
BRAVAS PHOTOS
あの頃の撮影記録
最も感激した作品
大学4年生? 17歳が製作した卒業論文の発表用プレゼンビデオ
course04.pdf へのリンク