*2026年シーズンに向けて メッセージ
鮮烈なシーズンを
ID70 チーム・アドバイザー 後藤新弥
凍える指に息を吹きかけながら、我らのシーズンが始まります。2部リーグの位置を確保したとはいえ、何が起きるか、さらに何が出来るか、だれも約束できないシーズンです。その不安と緊張をバネに、ICUらしいチャレンジを期待しています。
いやだなあ、つらいなあと、ネガティブな気持ちが沸いてくる日もあるはずです。自然なことです。ただ、忘れないでください。一生の内で、思い切り自分のやりたいことに集中し、弱気を跳ね返し、やりたい極限まで自由に挑戦できるのは、今これから迎える、この季節だけなのです。
世の中には、本来やるべきことをやらずに取り繕ったり、都合の良い言い訳を見付ける人間が、どこにでも居ます。残念なことに、自分だけはそういう卑劣なことはすまいと思っても、否応なしにそこに巻き込まれたり、見て見ぬ振りをせざるを得ないことが、必ず起きてしまいます。ICUレベルの能力で思い切り仕事をしたら、素晴らしい成果を上げるに違いありませんが、その分陰で嫉妬されたり、邪魔されるのも当たり前で、君たちはそんなことには負けないでしょうが、出る杭は必ず打たれるのです。
自分に嘘をつかず、仲間と共に、思い切り「自分で自分を強くする」ことが出来るのは、人生の中で、この季節だけなのです。苦しければ苦しいほど、つらければつらいほど、その困難をENJOYしてください。かけがえのない、鮮烈なシーズンにしてください。。
美しい季節を、(ある時は心の中も泥まみれになって)、愉しんでください。君たちは、それが出来る、選ばれた人たちですから。
*2025シーズン 健闘を称えるメッセージに代えて

インナーゲーム書50周年記念版に際して
、
下記の出版物の訳者あと書きを依頼され、apostles について触れましたのでご紹介させて頂きます。
私にとっては、まさに今シーズンの「あと書き」でもあります
ID70 顧問 後藤新弥
(訳者後書き 抜粋)
チームのミーティングで、「練習の一瞬一瞬と、試合での一瞬一瞬の価値に、何の違いもない。練習でも同等の、高度な集中を」と、一度だけ話したことがある。彼らは夏練の標語として「凡事徹底」を返してきた。細かい事こそおろそかにせず、という意味だ。ピート・キャロルの指摘通り、自分で自分を強くするのだとばかり、規律ある練習を繰り返す。若者達が自ら苦痛に満ちた、より困難な道を選ぶのに接するのは、実に感動的だ。〜〜〜
〜〜〜〜ICUアメリカンフットボール部の長谷川信彦総監督、北川雅巳監督、歴代の選手マネジャーらチームの仲間全員、〜〜〜らに、この欄をお借りして、深く御礼申し上げます。
(参考)「インナーゲーム」(ガルウエイ著)は、、1974年に発表された、スポーツ集中力についての本です

(注)プロフットボールNFLのカリスマ指導者、ピート・キャロルや、マイクロソフトのビル・ゲイツ、ラグビーのエディ・ジョーンズ監督等も推薦しています。
(2026一月 50周年記念版が発売、興味ある方はチームの方に御連絡ください)
後書き全文
訳者あとがき
困難をENJOY
スポーツの根源精神。
五輪の父クーベルタンが「オリンピックは参加することに意義がある」に続けて、「勝つことではなく、人生と同じように、死に物狂いで闘うこと自体に意義がある」と強調したことは、あまり知られていない。
1908年のロンドン大会の聖餐式で、米タルボット大司教が話したスポーツマンの心得を、その夜の晩餐会でクーベルタンが引用したものだ。前半はいかにも「楽しくやればいいのだ」に聞こえるために、日本では勘違いされることが多いが、実は正反対だ。英訳ではstruggleという強い語句が使われているが、この後半部分こそ、スポーツの核心を突いた言葉だろう。
確かに、スポーツは楽しいが、同時に人生と同じように厳しく、苦しく、しかも裏切りに満ちている。帰郷の歓びに満ちたT・ジョーンズのヒット曲「想い出のグリーングラス」が、実は死刑囚の唄だと知って仰天するようなものだ。上り坂、下り坂、そして三つ目の坂、「まさか」。いかに準備をしても、思わぬ不運は必ずやてくる。まさに人生と同じだ。
雑念もきりがない。勝ちたい、誉められたい。うまくなりたい。それだけならいいが、負けたらいい気味だと嗤われる、本番でまた失敗したらどうしよう、両親がどんなに落胆するだろう、嫉妬深い親戚がほくそ笑むに違いない。トップ・アスリートでも、心の中は時に泥沼だ。
けれど、その泥沼をもENJOYする方法が一つある。それがインナーゲームだ。
あれこれ悩む思考部分をセルフ1と名付け、それ以外の全ての部分、筋肉や神経、脳の機能活動などを本能部分、セルフ2とした分解術は、初版以来、世界のスポーツ心理学に大きな衝撃を与えてきた。「頑張らなければ、もっとうまくなる」というフレーズは、革命的でもあった。もっと気楽にやろう! ところが、インナーゲームがビジネスや芸術の世界でも注目されるようになると、その「究極のゴール」が、別の意味で読者の価値観を揺さぶり始めた。
ガルウエーは主張する。現代はサクセズ至上主義が渦をまいて、常に結果を重視しているが、インナーゲームはサクセスのためのツールではない、一瞬一瞬、無我夢中になって何かに集中すること自体が、その努力が、人生の究極のENJOYなのだ、と。
クーベルタンの述べたオリンピック精神に、合流した。
価値の逆転。素敵な裏切りだ。
現実直視の勇気
インナーゲームのプレーヤーは、セルフ2の本能が「より速く、より高く、より強く」が大好きで、そのための努力を惜しまないことに、自ら気が付いていく。その本能を悦ばせ、爆発させて、フル能力を発揮させるには、見落とされがちな二つの条件があるようだ。
マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツ氏が、本書序文で告白している。業務で大きな失敗を発見したとき、インナーゲームのおかげで、逃げずに正面からその困難を乗り越えることができた、と。現実を直視する勇気、それが一つ目の条件だ。自分を自分で誤魔化していては、いつまで経っても潜在能力を発揮出来ない。自分が何なのか、本当は何をしたいのか、正直に内省することは、容易なことではない。セルフ1が邪魔をするからだ。
ちなみに同氏は2022年のブログ「人生を通して好きな5つの本」に本書も取り上げ、京都の図書館にも寄贈したことで、読書会に話題を呼んだ。「テニスをしない人でも何かが得られる本です。ミス
から建設的に前進する方法について素晴らしいアドバイスをしてくれます。 私は何年にもわたってコートの内外でそれをフォローしてきました」という内容だった。
むろん、これも訳者の個人的なインナーゲーム観ではあるが、もう一つの条件は厳しいトレーニングだ。やるべき事に真摯に向かい合い、思い切り努力する姿勢だ。巻頭に献辞を寄せたピート・キャロは、リーグのお荷物と言われた弱小チーム、シアトル・シーホークスを率いて、2013年のNFLスーパーボウルで奇蹟の優勝を成し遂げ、全米大学フットボールでも、USCを2年連続優勝させた、カリスマ的指導者だ。インナーゲームがチーム・スポーツでも大きな役割を果たしていると言明した上で、こう寄せている。「ただし、高いレベルでのパフォーマンスを発揮するには、並外れた努力と勤勉さが必要だ。規律ある反復練習によって、選手達は初めて自分やコーチに自信を持つようになる」と。真剣に、より真剣に目の前の事に取り組み、集中して初めて、フルのパフォーマンスが発揮されるのだ、と。
そういえば、日本代表ラグビーのエディ・ジョーンズ監督もインナーゲームを推薦し、激しい練習に於ける集中力の重要性を説いている。
鍛え抜かれ、磨き抜かれたインナーゲームが本能セルフ2の超感覚を呼び起こし、だれも想像出来なかったような“スーパープレー”となって表に現れるのだろう。
キャロルの辞書にもジョーンズの辞書にも、“偶然”という言葉はない。
ヒマラヤを越えで塩を運ぶネパールの人々を追った映画「キャラバン」で、困難に出遭った若者を、老人が諭す。「より困難な道を選べ」。本能は困難に挑むことが好きなのだ。
そうは言っても。
何に限らず、スポーツや習い事は腹の立つものだ。もっと速く上達したい、昇級したいと必死に努力するが、逆に下手になる日もあれば、若者に追い越されることもある。ストレスが溜まる。師匠が意地悪なのだ、などと辞める言い訳を探し始めることもある。しかし無理にでもまたやり始めると、いつの間にか雑念が消え、一つ一つの動作にのめり込み、やがて精神集中の快感が押し寄せてくる。本能がENJOYし始める。だから、“嫌なのに”辞められない。もちろんセルフ1はじきに舞い戻り、継続を妨害するのだが、勇気を持って、自分の本能「セルフ1」は本当はどうしたいのか、辞めたがっているのか、続けけたいのかを問い正してみれば、答は内側から沸いてくる。
これがインナーゲームの面白さだ。
ただし、その体験には、外側の殻が破けてすり減り、本能が否応なしにむき出しにされてしまうような、高い密度の努力も求められる。キャロルの言う「規律性に富んだ厳しい反復練習」に挑む、決断と勇気が必要になる。その苦しみの分、インナーゲームを愉しめる。内面の、本能の歓びは倍加する。
規律性。
私事だが、母校のフットボール・チームは、恥ずかしいほど小さなチームだ。選手が足りず、攻守の専門チームは作れない。攻守交代の時も、何人かはそのままフィールドに残ったりする。予算も少なくて、試合用の新品ボールを拠出できずに、審判に叱られたこともある。それでも、彼らは昨年3部リーグから奇跡的に2部に上がって注目を集め、留まることなく、さらにトップリーグへの昇格に挑戦している。
チームのミーティングで、「練習の一瞬一瞬と、試合での一瞬一瞬の価値に、何の違いもない。練習でも同等の、高度な集中を」と、一度だけ話したことがある。彼らは夏合宿の標語として「凡事徹底」を返してきた。細かい事こそおろそかにせず、という意味だ。ピート・キャロルの指摘通り、自分で自分を強くするのだとばかり、規律ある練習を繰り返す。若者達が自ら苦痛に満ちた、より困難な道を選ぶのに接するのは、実に感動的だ。
ちなみに、インナーゲームは本を読んだからといって他人に「教え」を説いたり、傲慢にも“コーチ”するものではない。あくまでも、互いに一人一人の読者として、ENJOYを共有するものだと思う。
子どもにインナーゲームは必要か、と聞かれることがある。訳者の分際、したり顔でお答えする資格はないが、子どもが「日本一になってテレビに出る有名人になりたい」とばかり無我夢中にスポーツするのを、大人が横から邪魔する必要は無いはずだ。その段階ではサクセス思考も何もない、本能のままだからだ。
ただし。アスリートがそのピークに達する頃までには、自ら「自分は何のために闘っているのか」に気が付いて欲しい、そこに指導者の品格が投影される。何を教えてきたのか。クーベルタンの説いた、スポーツの根源精神を、教える側が理解しているのか、
残念だが、メダルをとったがために、自分を見失う選手もいる。一時はテレビや代理店に乗せられてプチ・セレブに酔いしれるが、やがてバラエティー番組に呼ばれなくなった時、町で誰も振り返らなくなった時、やっと間違いに気付いても、セルフ1のはずみ車は容易に止まらない。
逆の例もある。ハンマー投げ金メダリストの室伏広治氏は選手時代、ボブスレーにも挑戦するなど、バラエティー番組の人気者になったことがある。それがある時、突然テレビ出演を一切辞めた。「マイナーだったハンマー投げを広めるために、と乗せられていい気になっていたが、自分の嘘に気が付いた。つらくても競技に専心して五輪で優勝した方が、はるかに効果があるはずだ、と」。その後アテネで五輪で見事に優勝し、引退後はスポーツ科学を研究、スポーツ庁長官を務めた。彼を指導した父・重信氏と成田高校監督・滝田嗣生氏は親しい間柄で、ともに優れた人格者だった。
規律性は、インナーゲームをプレーする上で自ずと求められる“品格”と無関係ではない。陸上競技で先頭争いをしている時、審判のアニュアルには「テレビやラジオは逆転です!と絶叫するが、場内放送では“先頭が代わりました”とアナウンスしましょう」と書かれていた。品格や思いやりは、スポーツに初めから含まれている根源的な要素だ。
禅にも、無という概念が。
煩悩を捨て、セルフ1を空にする。自分の内側の光を当てる。インナーゲームと禅には、奥深い部分で共通するものがある。飛騨・萩原郷の禅寺(大覚寺)で、「朝に夕に般若心経を唱えても、なかなか無心には」と、お尋ねしたことがある。俊岳和尚、大笑いして「心配するな。そもそも無というのは、何かに熱中して、一心不乱になる状態で、そこらに転がっているものではない。ないからこそ、禅がある。ただし、無に入り、それを持続するには、厳しい鍛錬が必要だ」。
インナーゲームも、ということにもなる。一日24時間、ゾーンに到達したまま過ごす人はいない。過ごせる人もいない。ゲームである以上、勝ちもあれば、負けもある。
しかしこれを究めていけば。
やがて人生やスポーツの不運も、敗北も、インナーゲームでの負けですら、「ワハハ、またやらかしたわい」と、笑い飛ばせるようになるのだろう。「心の平和」でノーベル賞を受賞したプレム・ラワット師(インド)の献辞に、インナーゲームは心がもてなしを受けるゲームである、とある。
面白いことに、インナーゲームに日本と共有するものを感じるのは、禅だけではない。
日本の武道では、「無」の大切さと同時に、古くから丹田という概念が伝えられてきた。これは、下腹、ヘソ下三寸の所に、全身の「気」を集める丹田という箇所がある、そこにぐっと力を込めることで、自分の力を出し切ることが出来る、といったものだ。
古くさいと嫌う人もいるが、科学的に見ると確かにその辺りが体重の中心、重力の中心にあたる。現実にその点が存在するわけではないが、第2仙骨の少し前を「感じとって」みると、なんとなく納得する。下腹にうんと力を入れ、さらにそのパワーを「丹田」と思われる、想像上の一点に集めてみる。「あ、ここだ」と感じとった瞬間に、無駄な力が抜け、全身のリラックスを一瞬、感じることがある。その瞬間が、本能のエネルギーが爆発する時だ。のスプリンターが。本能のままにスターティングブロックから飛び出す一瞬だ。インナーゲームの側から見ると、丹田は「体内感覚」の集約点である。
余談だが、「ストレッチング」も、ある意味でインナーゲームに通じている。そもそもは1982年にボブ・アンダーソン夫妻が米国で発表したもので、日本ではたまたま訳者が新聞紙上で公開、翻訳連載を担当した。外から見た形を気にすることなく、静かに内側の感覚を探って、その箇所が伸びるどうかの感覚に集中する、が基本の要素だ。
インナーゲームでいう「体内感覚」との共通項が面白い。
「肝心なことは目には見えないんだよ」サン=テグジュペリ
現在の世界最強テニス・プレーヤー、C.アルカラスは、ジャパン・オープン2025で足首をねんざしながらも、最後は手品のようなドロップ・ショットで優勝してみせた。テレビのインタビューで、こう話していたのが印象的だった。
「私が信じているのは自分自身の“感覚”です。子ども達には、ハッピーにプレーして欲しい。勝つことは重要でも、それは結果でしかないからです」。
2025年 後藤新弥
追 初版以来、改版を重ねながら余年も出版され続けてきたことに、驚きを隠せません。時代が移り、価値観も変化してきた中で、さらに読まれ続けていくこと祈る1人です。
シリーズの拙訳を赦していただいた読者の方々に、深く感謝しています。
また、今回改めて50周年版の編集・発刊を引き受けていただいたパンローリング株式会社社長******氏、担当していただいた社庄司佳世様、1976年の翻訳初刊から重版の労をとり続けてくださった日刊スポーツ出版社の故田中満繁、坂入拓司の両氏、77歳から始めた空手で、雑念の沼から救い上げてくださった空手の川嶋佑師範(東京三鷹・川嶋塾)、ICUアメリカンフットボール部の長谷川信彦総監督、北川雅巳監督、歴代の選手マネジャーらチームの仲間全員、最先端のスポーツ科学・心理学の研究へリードしてくれた比佐仁氏(フィットネス・アポロ)、「インナーワーク」研究家の石橋哲哉氏らの諸兄に、この欄をお借りして、深く御礼申し上げます。
また、努力と集中、自然発生的なインナーゲームをENJOYしている孫の渉君や、家内・祥子、忍、直弘、あさみ、ステラ(バーニーズ)らの愉快なインナーファミリーに囲まれていることを幸せに思い、彼らに感謝しています。
この50周年記念版を機に、インナーフレンドの輪がさらに広がることを願っています。